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20歳の僕へ

府中市の東京競馬場にてオークスを観戦した。
下宿の隣町なのでかなり楽に行ける。余裕をかましてメインレースから競馬場に入った。



この日主に応援していたのは、池添が乗るホエールキャプチャ。
父クロフネ→開国→捕鯨というつながりでつけられた名前の馬が、
レーヴディソール戦線離脱後の中心をなしていた。



続いてこの日注目していたのが、
デュランダルの血を受け継ぐエリンコート。
桜花賞の日に忘れな草賞を勝ち、二冠目の舞台へ駒を進めた。

雨脚がうねるように激しさを変える中、
スタンドの屋根の下でレースを見ることにした。
雨が午前中降ってなかったので観衆は多い。
ファンファーレと共に、府中のスタンドからは、何層にも折り重なる歓声が沸き立った。

シロナガスクジラのような毛色をした捕鯨が早速出遅れた。
池添出ろー!と思わず叫んでしまった。
エリンは中団の内、捕鯨はその後方にいた。
長い直線に向かうと、徐々に捕鯨が上がってくる。
池添かわせー!とまた叫ぶ。
だいぶ前に上がってきた、内には何がいるんだピンクの帽子とこの黒い帽子、
えっちょっ嘘っエリン!?

エリンコートッ!!

ゴール前100mにして叫ぶ対象が変わった。
エリンは桃色帽のピュアブリーゼを抑え、頭一つ抜け出しゴールに入った。

デュランダルの仔がオークスを勝った。
競馬の歴史に父デュランダルの名前が刻まれた。
信じられない気持ちに顔が呆けきってしまい、
そこから一気に喜びが湧き上がってきた。
悲鳴にも近い声で、もう一度勝者の名前を叫んだ。

エリンコート!!

雨中のウイニングランを見ようとスタンドから降りてきたが、
エリンはまっすぐ帰っていった。
どうも審議対象になっていたようだ。
3年前池添が勝った時もそうだったな...一抹の不安がよぎった。
あの時よりなんぼかましだし、多分大丈夫だろうけど...

数分の審議が長く感じられた。
着順の確定を見届けると、もう一度喜びがこみ上げてきた。
戻ってきたエリンと鞍上の後藤騎手に、おめでとう!と声をかけた。




デュランダルが短い距離の切れ味で圧倒的なモノを見せた一方、
エリンコートは距離を延ばすにつれ結果を出し、今日も辛抱強く伸び切った。
親子でタイプは違えども、血のつながりは変わらない。
これからもどんどん大きいところを狙ってほしい。
今日3着だった捕鯨も、まだまだ巻き返せる。

明日誕生日を迎える私にとって、10代最後となるGIレースは、
これ以上ない結末にて幕を閉じた。
フライングで馬券を買えば、エリンの単勝だと37.2倍になっていたが、
馬券が買えない身分として見る最後の大レースにて、
お金で測れない最高のモノを、エリンからもらえたと思う。
それに、実家で見ていた親父が当てたから、家族としてはプラスである。
親父が特段デュランダル好きという訳ではなく、
たまたま今日軸馬にエリンを選んだだけだが、
こっちの親子は似たモノ同士だ。

こうして歓喜に溢れた一日も、もう間もなく終わろうとしている。
ここからは次の一年、十年、一生に向けて、自分自身に伝えたい事を、思いつくままに書いていく。

まぁ、何より自分のケツは自分で拭ける人間になってくれと、まずは。
電車の中で人が倒れても何も動けなかったことがあったりと、
何かある時に自分で行動を起こせないばかりで、
本当にこれから、責任ある大人(文科省のお題目とは少々意味を異にするが)
になれるのか、自分で自信を持てない。
自分がすべきことから目を背けたくないし、
あと自分が招いた不心得によって、人様にむやみに迷惑をかけたくない。
関西にいた時、一部の人にはそれで一時期かなり当たった。
ちょうど寛容さを武器に為そうと頑張っていたころだから、
当たり散らせる相手がかなり限定され、向こうにはものすごく余計な負担になったと思う。

縄張りの概念が人間精神に適用されるなら、
私の場合、自分の実際の行動半径よりも広めに設定しないと気が済まない。
そのために、何より徹底すべきであるにもかかわらず、
現時点でまるで弱い部分となれば、今挙げたところになると思われる。

今現在にては、寛容さを磨いても、武器としては使い物にならない。
もちろん人間としては大いに必要なものだが、
それを以ってイニシアチブを握りに行けるような身分に、自分がなっていない。
自分が受容する側ではなくされる側に転化したというのか何と言うのか。

今武器にできるものは何なのだろうか。
無いなら探さないといけない。ここ一番で泣きを見る。
でも20歳になったからといって空から降っては来ない。

何か、小手先の補強にとどまらない、抜本的な革新を求めたくなる。
でもそれをするにも、責任感がなさすぎてどうもならない。
変わるのが怖いと言うより、変わった結果を受け止められなかった時、
自分がどうなるかが怖い。
そう考えると、やはり自分が手にするべきものの優先順序というのが、
若干は見えた気がする。

これくらい書いたところで、次なる自分にバトンを渡そう。
趣味とパーソナリティを親から色濃く受け継いだと自認する私にとって、
馬券と酒が買えるようになる歳と言うのは、
とても大きな転換点であり、また様々な思いが出入りするスクランブルでもある。
この日が来たらどうなるのだろう、ということは、
幼いころからずっと不思議に思っていた。
まだその日はギリギリ来ていないのでわからないが、前日についてなら一つ言える。

大晦日よりもそわそわする、と。
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Bebemos IEMON

さる28日だか29日だか、約1ヶ月ぶりに大阪に帰ってきた。
深夜の大阪駅では蛍光灯のまっすぐなまぶしさに出迎えられ、
今やすっかり東京を食ってしまったんじゃないか、という印象を受けた。

非常識な時間に帰宅し、ろくに家族に挨拶も出来ぬまま昭和の日を迎えた。
先日、Skypeで予備校での知人と話をした際、
成り行きやら何やらで京都を案内してもらえることになっていた。
長時間の移動明けに加えて風邪気味と、お世辞にも体調がよくない中、
これまでずっと慣れ親しんできた京阪電車に乗り込んだ。

出町柳駅から東に歩いて京大構内に入ると、
いきなり栗毛の馬が歩いているのが目に入った。
曇り空の下、並木道に蹄音が響いてくる。
こりゃもう馬術部を見に行くしかないな...となり、
厩舎まで案内してもらうことになった。

すでに馬場では何名かの部員さんが練習を行っており、
先ほどの馬も構内でのウォーミングアップ後、練習に出ていったようだ。
馬を曳いていた部員さんに、自分が東京で馬術を始めた者だと告げ、
「また来年の七帝戦で会いましょう」と挨拶を交わした。
関東出身で、今年京大に来たという新入部員さんにもお会いした。
私の逆パターンやね。

さて、行く場所の大枠は決めていたものの、馬術部に寄った辺りで少しぐだり、
さらに東へ歩いて哲学の道を見てみることになった。
聞いた感じだと、道沿いの堀に落っこちた教授がいるらしい。
考え事をしていたのか、単に酔っ払っていたのか。

歩いているうちに昔懐かしい感じの通りに出迎えられ、
これは、と思いながら進んでいると、気がつけば銀閣に着いていた。
ここに来たのは初めてだったが、
山や池の洗練された遠近感には心を動かされた。
教科書によく出てくる絵づらもきっちり見てきたし。

時計台のほうに戻って昼食をとり、
今度は東大路通りを南進して知恩院へと向かった。
この辺りですでに疲れたのか、だらしないあくびが漏れる。
こんな体調で来てすんません。いや本当に。

おやつ時になったので、祇園四条に向かうアーケードを歩き、
葛きりの美味しい店に入ってみた。
ここは中2のときに一度来て、非常に感銘を受けた店である。
やっぱり、これだけ活き活きとした葛の味は他で味わえないな、と思った。

テーブルではなく座敷に通されたこともあって、
東京ではなかなか味わえないような、ゆるい時間を楽しむことが出来た。
開いた障子越しに見える竹や小石の庭園に、不思議な安心感を覚えた。

京都観光と言えそうなものはこの辺までで、
この後は河原町近辺にて、本屋なりロフトに寄ったりしながら解散した。
風邪引き二人があっちゃこっちゃ行きながら、
お互い色んな話が出来たような気がする。

昨日は家にずっといて、今日は天皇賞を見終わった位の時間に帰る。
自分も家族も方々に出かけてることが多く、自室の片付けも大して進まず、
孝行息子と言えるところが何もないまま、再び家を離れそうだ。

そして関西に残った友人たちにも、
一昨日1人会っただけでほとんど顔を出せていない。
授業と馬術部合宿の兼ね合いから慌しい帰省となり、
しかも体調がアレなので、1日外出しただけで結構堪えた。

夏にはまた帰ってこられるだろう。
そのときを楽しみにしながら、また誰かが東京に来るのも期待しながら、
今日は再び新幹線に乗る。

Landscape

読者の皆様的には、私が大学に入ってどういう激動に接しているか、
その合間や後に訪れる倦怠とどう戦うかを、やはり期待されているところなのだろうが、
その辺りを書こう書こうと思いながらもタイミングを逸し、とうとう梅も桜も散ってしまった。
とか何とかで今日書くのは、一昔前に自分が咲かせた花について。

センターおよび二次試験の点数開示が届いた。
センターはほぼ自己採どおりなので割愛するとして、二次試験の結果はこのようになった。


国語:64/120

いたって普通。現古漢の内訳はどうだか知らないけど。


数学:68/80

模試の平均とほぼ変わらず。今年は裏切られずに乗り切れた。


英語:75/120

現役時から微減も、あの難易度で粘れたなら悪くないとも。


世界史:37/60

昨年と変わらず。第2問で伸び悩んだか?


地理:49/60


「客観満点・論述8割が目標だ!君達なら出来る!」本当に出来た。S先生ありがとう。


二次計:293/440
センター計(圧縮後):102.3/110
総計:395.3/550


合格最低点:345.4333/550
合格平均点:365.1526/550


受かるも落ちるも微妙な差かと思いきや、結局約50点千切り捨てて溜飲を下げた。
夏→秋と模試の素点が下がっていたのが不安要素だったが、
苦しい中もがき続けた結果、本番は夏以上の出来で突破できた。

これだけ出来たなら、去年もう少し遊んでても...と考えるほどやましくはない。
周りが頑張っている姿に目を背けなくなったのが、
やっぱり現役から大きく変わったところかな、と思う。

そういう意味では、直前期までtwitter触ってたのもマイナスにはならなかった。
ちゃんとした受験生のリストを作ってそれを眺めていれば、
気持ち的にもかなり潤いは出てくるだろう。

こういうことをつらつら書いているのは、更新をサボった言い訳を探すためである。
受験終わっても触りっぱなしやないか。それはいいとして。

受験生としての自分についてつぶさに書く機会は、
この先当分なくなるだろう。
1年で実質60点近く伸ばした計算になるが、
思い出す先には点数ではなく、仲間と過ごした熱い時間が残っている。

コズミが取れない

iPhoneに替えてから、慣れないタッチキーに苦戦している。
手軽に写真は撮れても、意外とアップや記事執筆に手こずる。
そんな中撮った一枚を上げながら、最近始めた楽器の話でも。


iphone_20110319194100.jpg


じゃじゃん。どや。ちゃうか。
名をばEWI4000sと言い、
吹いて鳴らすウインドシンセサイザーの一種である。
両親に相談し、入学祝いとして入手してもらった。

見ての通り、リコーダーのゴツくなったような作りをしていて、
鳴らす原理も基本的に変わらない。
オクターブやピッチベンドは本体背面で調整する。

やることは単純だが、機械相手に感情のこもったプレーは難しい。
あと息が苦しい。吸い足りないのではなく吐き足りなくなる。
うまく息を逃がしながら吹くのがコツだという。
まだまだ熟練するには遠そうだ。

こいつと戯れながら、
残り少ないニート生活を満喫することになりそうだ。

やはりiPhoneで長文記事は難しい。
受験終わったらやろうと思っていた楽器の紹介が割と簡素になった。
上手くなりそうなら、また追い追い書いていく。


God Only Knows

合格発表2日前から家探しをおっぱじめて、何件か下見を済ませた。
発表前日は、神社に寄って最後のお祈りをしてきたかな。
「もう結果は変わらんやろけど、明日無事いけとりますように」と。
で、それから時間が余ったので競馬場に繰り出した。
馬券が買えない未成年としては、最後の参戦になるかもしれない。

この日はメインレースに東京スプリング盃が組まれ、実績馬も顔を揃えていたが、
ゲート入りの際トラブルを起こす馬が続出し、
なんと発走地点で2頭が除外、スタートが15分遅れという異例の事態となった。
ゴール前にかぶりついて観ていた私は、
ついったーで「エクストリーム発走遅延」とつぶやいたような気がする。

レースの方は、逃げて勝ちパターンに持ち込んだジーエスライカーを、
前年のスプリング盃覇者・フジノウェーブが華麗に撃墜しての決着だった。
現地の一線級たちによるレースとあって、やはり迫力が違った。

とまぁ、競馬を見ているうちはよかった。
競馬場から帰るあたりから、だんだん発表までの残り時間が気になってくる。
親戚の家に帰ってから夕食をとると、もう緊張と眠気に勝てず、
翌朝7時ごろまでたっぷり寝落ちしてしまった。

運命の日の朝を迎えた。
客人がいるせいか、それとも普段ちょっとしか食べないせいか、
朝食は量が多いように感じられた。
8時ごろ食べはじめて、食べ終わったのが9時半。味噌汁は冷め切っていた。

叔母はすでに仕事に出ており、昼休みに発表を見に来ると言う。
外に出るまで2時間ほどの間、ゲームをする以外に気を散らせなかった。
決して、ペットボトルを某講師に見立てて遊ぶ、あのスポーツではない。

合否を問わず、この日で一旦叔母の家を離れるつもりだった私は、
荷物をまとめ直し、再上京に備え洗濯物は一部叔母に委託させてもらった。
スーツケースをガラガラさせたまま、電車を乗り継いで駅を降りると、
すでに試験日と同じく、レミングのような人混みがキャンパスへ伸びていた。
通用門の少し前で叔母と合流し、人波をかき分け掲示板へ向かった。

受験番号的に、載っているなら掲示板左端あたりだろう。
しかし目がよくないので遠くからは見えない。
二歩進み一歩下がるペースで群衆を割っていった。
今度は番号は識別できるが、人の頭で見たい場所が見えない。
背を伸ばしーの、体重を前にかけーの、おっ、どうだこれは・・・


・・・「おっし!!」


然るべきものを然るべきところに見出した。
ひょろい身体から出せる限りの声を張り上げ、まずひとしきり吼えた。
あ、ガッツポーズ考えてたんだ。とりあえずやるか。
胸を叩き、人に当たらない程度に腕を突き出す。
去年はできなかったんだよなコレ。

『合格ぇすか!?』「はい!」『おめっとぉござぁす!!ホイ!!』
無駄に目立ったのか、応援部の人に鳴り物付きで祝福された。どんぱふ。
『僕たち応援部やってるんで宜しくお願いしゃあす!』
要するに入学後を見越した勧誘の一環だったようだ。
で、また無駄に目立ったのか、今度は雑誌の記者さんにつかまった。

『どんな風に勉強しましたか』「此々こんな感じです」
『今年はカンニング事件が問題となりましたが』知るか。
しかしそうも言ってられないので、
客観的事実に基づいて、可能な限り応答した。
要するに、自分の意見らしきものは、さしてまともに述べていない。

今年、一緒に勉強してきた多くの友達がその大学を受け、
すっきりしない思いを抱えている人もいる中で、
不用意に安っぽいコメントを自分の口で出したくない、
という考えに至ったのかもしれない。
一受験生(であった者)の身分で、
現行の入試制度について文句垂れられるものでもないし。

取材にひっかかっていたため親への電話を忘れていた。
お母んからは『見間違えていない?』と2、3回聞き直された。
んなわけあるか。
しばらくしてレタックスが届き、ちゃんと合格が伝わったらしい。

現地に見に来ていた友人には、一緒に受けた人から、
現役で受かり今年はビラ配りに来ていた人まで、色々な人に会った。
試験明けてすぐに会った山巓と、ここでも話をすることができ、
いち早く喜びの声を伝えられた。
んでもって元々バンド仲間だった友達が、サークルの用事の後寮に呼んでくれた。

うちのバンドは、ギターが現役で受かっていたところに、
ドラムス・トランペット(EWI転向予定)が同じ大学に受かったもんだから、
これは向こうでトリオが組めるかもしれない。
にしても、ドラマーまで受かったと聞いたときはびっくりした。
そりゃ半年であそこまでドラムを鍛えたんだから、
学業でも気合を見せればエンジンが違ったのだろう。本当におめでとう。
彼には去年の卒業式以来会った記憶がない。また向こうで飯でも食うか。

寮を出たら夕方6時で、大阪に着くのは9時ごろの見込みだった。
お母んから晩飯に呼ばれたが、これは無理じゃね?と思った。
しかし母は12時まで空いている魚料理の店を見つけ出し、
日付が変わる寸前まで私を付き合わせた。
大きな海老の丸焼きにレモンを絞って食べたが、テキーラは一切関係ない。

テキーラのおかげで、落ちなかった今年の体験記にもいいオチがついた。


○勝因


成績推移や結果を見た感じでは、春~夏での逃げ切りである。
去年、秋以降そこそこ追い込んで届かなかったのが、
何だかんだで悔しかったんだろう。
逆に今年は秋以降伸びる気がしなくて辛かった。

でも春~夏にそこそこ勉強できたのは、
去年の直前期にそこそこ勉強するスタイルが出来たからこそ、だと思う。
あそこで投げてたら、きっと今年も投げていた。
苦しくても勝ちに行く姿勢を崩さなかったのが、
次の一年に大きく夢を繋いでくれた。
だれ性のくせに口だけは減らない現役時のオタンコナスに、
唯一感謝したいところである。

生身の自分に少しだけ寄らせてもらう。

ありがとう、ちょっと前の俺。おめでとう、今現在の俺。